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 ウェブスカイドア 現代篇
 


さかぎしよしおう
sakagishi yoshiou


[ 略歴 ]
1961
  米国オレゴン州生まれ
1986
  多摩美術大学卒業
1989〜90
  英国で遊びほうける

[ 個展 ]
1991
  西瓜糖
藍画廊
1992
  ギャラリエ アンドウ
1993
  藍画廊
ギャラリーないとう
東京日仏学院ギャラリー
1994
  ギャラリエ アンドウ
なびす画廊
西瓜糖
1995
  ギャラリエ アンドウ
MAT
1996
  ギャラリエ アンドウ
1997
  ギャラリーK
2000
  ギャラリエ アンドウ
2001
  ギャラリエ アンドウ
2002
  ギャラリエ アンドウ
2003
  ギャラリエ アンドウ
2004
  art space kimura ASK? ( αMプロジェクト)
ギャラリエ アンドウ

[ グループ展 ]
1992
  神奈川県民ホールギャラリー
「神奈川アート・アニュアル'92」
1993
  ギャラリー手「カオスと秩序−芸術のアトラクター展」
1994
  なびす画廊「金曜日のまれびとたち」
セゾン美術館「21世紀・的・空間」
MAT
1995
  ギャラリーK「知性の触角」
ベイスギャラリー「線の動向展 - II」
板橋区立美術館「線について」
スパイラル「Art Garden #3」
1996
  ガレリアラセン「ムルロアに咲く花プロジェクト」
佐倉市立美術館「体感する美術 ‘96」
2002
  京都芸術センター
「プログラム・シード−〈かたち〉の生まれる時」

[ 今後の予定 ]
2004
  11月9日〜11月27日
ギャラリエ アンドウにて個展

「2018」
2003年

「3005」
2003年

「3013」
2003年

「4002」
2004年

「4008」
2004年

「4012」
2004年

「4016」
2004年

「個展会場写真」
2004年6月
αMプロジェクト
(於 Art Space Kimura ASK?)
経験の質

さかぎしよしおうが近年取り組んでいるのは、磁器土をスポイトで垂らして滴の連なりとして作った作品である。「作家が余計なことをしない」「素材が成りたい形を作る」と作者が言う、この結晶体のような小さな作品群は、いったい何なのだろうか。さかぎしは最近の個展のパンフレットに寄せた文章の中で(「蟷螂の斧」)、みることの「経験」ということに言及している。おそらく彼がこれらの作品群で提起しているのは、人間の「経験の質」の問題なのではないだろうか。
これらの作品は何とも名づけようがなく、見ようによっては建物、塔、ケーキ、綿棒の固まり(!)にもみえてくる。しかしこれらを容易に自己の経験のなかの既製のイメージや概念に当てはめてしまうのではなく、ひたすら作品が感覚に伝えてくる内容を受容することに努め、簡単に解釈してしまおうとする誘惑に耐えること ― このことが、さかぎしの作品をみるときの大事なポイントなのかもしれない。作品に向かって対峙すれば、その表面の光沢、質感、滴の連なりの配列、間隔や曲がり具合、それに当たる光が創り出す陰影、それが置かれた場所の空気感、など様々な要素が殺到し、作品と観賞者と場が生み出す唯一回の出会いがそこに現出するだろう(たとえその作品を観賞者が所有しているのだとしても、作品と場が出会う局面は一回一回やはり違うのである)。
この出会いの経験のなかには、R.バルトが写真についていう「プンクトゥム」 ― 微妙な引っかかりのようなもの ― が存在するのかもしれない(「明るい部屋」)。美術は何かの内容の単なる絵解きや説明でなく、思想や哲学でもない。その作品の存在の在り方が、いわく言い難い、無限の経験のヴァリエーションを与えてくれるものだ。禅の公案のような謎を与えるプレゼンス(現前)である、といえばよいか。その意味で、それはまた(既製のシステムという意味ではなく、もっと開かれた意味での)一個の「哲学」である、ともいえるだろう。作品の在り方をここまで凝縮させ得るようになったことに、さかぎしのこれまでの営為の蓄積としての意味があるのだろうし、だからこそこれらは、観る側の経験の質を問い続ける作品群となっているのである。
〜 倉林 靖/美術評論家


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