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森 淳一
MORI Junichi


[ 略歴 ]
1965   長崎県生まれ
1994   東京芸術大学美術学部彫刻科卒業
1996   東京芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了

[ 主な個展 ]
1998
  アギャラリー山口(東京)
2005
  ’shade’
エキジビション・スペース東京国際フォーラム
Forum Art Shop(東京)

[ 主なグループ展 ]
1997
  ’空間の変容’東京芸術大学芸術資料館陳列館(東京)
1999
  ’拡張する美術'99’茨城県つくば美術館(茨城)
2001
  ’FLAGSHIP 2001 Tour’
エキジビション・スペース東京国際フォーラム
Forum Art Shop(東京)
2003
  ’彫刻の身体’東京芸術大学大学美術館陳列館(東京)
2004
  ’Foolish’SPACE FORCE(東京)
’interdependence’南有馬(長崎)
’ポ−ラ新鋭展’ポーラミュージアム アネックス(東京)
2005
  ’石の思考展’東京芸術大学大学美術館陳列館(東京)
2006
  ’THE RINGS ・ - too decorative - ’
エキジビション・スペース東京国際フォーラム
Forum Art Shop(東京)
’ジュエリーの今:変貌のオブジェ’東京国立近代美術館工芸館(東京)

sonagli-03
1998

land・side-01
1999

run
2003

whirl
2003

spin -2
2004

interflow-2
2004

shade
2005

untitled-ornamental comb
2006
流体・陰影としての世界の「かたち」

いま現在においても「彫刻」なる概念をめぐる思考・実践はさまざまな形で行われているが、森淳一の制作行為も、そうした範疇のなかで考えることができるだろうか。彼の作品は一見、西洋の彫刻概念をとりまく正反対な態度を同時に内包しているように見える。たとえば2005年の作品「shade」は、西洋の古典彫刻における最も重大な問題点のひとつだった「襞(ひだ)」を重要なモティーフとしている。衣服が作り出す豊かな襞の表現は、ひじょうに正統的な古典的彫刻の姿を現出しているように見えるのだが、しかしそこには肝心な肉体がすっぽりと抜け落ちている。ギリシャとそれ以後の彫刻において襞の表現は、まさにそれが包む肉体のありようを示すためにこそ存在していたとするなら、この、襞だけがあって肉体がないという本末転倒的とみえる事態は、何を意味するのだろうか。豊かな襞は、そこに、作品の題名でもある Shade 陰、陰影を作り出す。彫刻の本質は肉体ではなく陰影にこそある、とでもいうのだろうか。陰影は、決して表面的・表層的でも平面的でもない、それ自体立体的な実在である、と考え、そして、私たちが立体を立体と認識し把握しているのは陰影によってである、と考えるとしたら、どうか。(作品「Shade」を成立させているもうひとつの重要な要素であるランプは、実体的な陰影として光を拡散させている。)私たちの、自らを取り巻く世界の認識のしかたは、微妙に変化してくるにちがいない。
森淳一の作品にあらわれている顕著な特徴は、水の流れ、雲、ミルククラウンなど、流体的なもの、従って従来彫刻の主題になるとは考えられてこなかったもの、をモティーフにしている、ということである。彼の流体的なものへの関心はレオナルドの有名な「大洪水」のデッサンへの興味から始まっているそうだが、デッサンから作品を膨らませていくということも、おおよそ彫刻家の発想らしくないと一見思われてしまう。しかしそこにはやはり、流体的なものにこそ「かたち」の本質をみようとする志向が表れているのではあるまいか。水の流れを表す彫刻は、筆者には、日本建築における欄間などの和風な表現との相似をも想起させ、これはこれで面白い問題かもしれないが、しかしやはり森の制作行為の根底にあるのは、レオナルドの科学的把握にも似て、流体や陰影として世界の「かたち」をとらえ表現する、というひじょうに本質希求的なまなざしなのであろう。ここにおいて、森もまさに真摯な、正統的な意味における「彫刻家」であるのだと私には思われる。(倉林靖/美術評論)


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